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好きな音楽のこと
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数日、実家へ帰っていた。

その間、いろいろあったんだけど、
一番ブログに書きたいのがこれ。


ハービー・山口写真展  「ポートレイツ・オブ・ホープ」~この一瞬を永遠に~ 


実家から車で5分も掛からない「川崎市市民ミュージアム」にて、
今月の16日まで開かれているハービー山口さんの写真展だ。







もちろん私は、まさやん繋がりでこの人を知ることになったわけだし、
この日も、数点展示されているという、まさやんの写真を見るのが目的だった。
これまで写真展なんて行ったこともないし、絵なら好きだけど写真ってあんまり興味も無くて。。


ところが、会場に入って、ハービーさんのモノクロの写真を眺めながら歩を進めるうちに、
だんだんとそれらの写真に惹き込まれて行った。
なにがとか、どこがとか、うまく説明できないけど、
なんかものすごく心を揺さぶられる魅力が確かにあったのだ。


まさやんの写真は、アーティストコーナー(というのか?)の一番最後に、3点のみ展示されていた。
3枚とも割と小さめの写真で、どれも見たことのある写真だった。
たったこれだけ? と、最初はちょっと肩透かしをくらった気分だった。
でもやっぱり、この人は本当に味わい深い顔をしている。
というか、こういう表情をハービーさんはまさやんから引き出すことが出来るんだな。
邪気の無い素直な笑顔の、若いモノクロまさやんに、私はまた恋をしてしまった。


このアーティストコーナーには、まさやん以外にもビッグアーティストたちの顔がたくさん並んでいた。
エレカシ、ブームの宮沢さん、CHAR、福山雅治、chara、他にも大勢・・・
どの写真もとても素敵だった。


でも、それ以外の写真も本当にすばらしくて、私はすっかりハービーさんの写真の魅力に取り付かれてしまった。
特に、東欧関係の写真と、代官山17番地の写真がいい。
これらの写真を見ていると、不思議な世界にいざなわれる感じがする。
写真におさまっている人たちの表情がほんとうにすごくいいのだ。
うまく説明できないのがもどかしい・・・

特に代官山17番地の写真に私は強く惹かれ、ぜひこの写真集を欲しいと思ったのだけど、
今はもう絶版で、アマゾンでは3万近くの高値で取引されていた。 → こちら
とてもじゃないが、この値段で買うことは出来ない。
でも、調べてみたら横浜市の図書館に1冊だけあったので、
早速、予約しておいた。


※代官山17番地
人々に親しまれてきた同潤会代官山アパートが老朽化と再開発のために解体されると知ったハービー・山口は、
その姿を永遠に残したいと思い、解体される日まで撮影を続けました。
人々の心に今なお残る同潤会アパートの美しさとノスタルジーに満ちたイメージをご堪能ください。

 
 → PHOT GALARY



前にここでハービーさんの話を書いたときに貼り付けた動画で、
ハービーさんが、この写真を映しながらまさやんのワンモアを流すと、
その風景にピタッとはまる、というようなことを言っていた。
さっきその映像を見返したら、まさにその写真が「代官山17番地」の写真だった。
写真家本人からそんな風に評価してもらえるなんて、なんて名誉なことだろうか。

私にとっては、まさやんのワンモアというのはもうすでに強烈なイメージがまとわり着いてしまっているので、
今さら他の映像とともに見せられても、あまりピンと来ないのだけど、
もし初めてワンモアをこれらの写真と一緒に聴いたなら、
もっともっと強く、写真の世界とこのメロディやまさやんの歌声がリンクするんだろうな~と思った。
なぜか私、この代官山17番地の写真と、以前観たスワロウテイルの映画がリンクするのである。









出口に、このような ↑ ノートが置かれていた。
「御感想をいただけたら幸いです。 ハービー・山口」と書かれていた。

ノートをめくってみると、多くの人がメッセージを書いていた。
私も感じたことをそのまま書いてきた。
ハービーさんに読んでもらえたらうれしい。


この写真展は来週の16日までだけど、
なんとその前日の15日に、ハービーさんのトークショーが行われるという。
私はうれしくて飛び上がって、もう一度この日に来よう!と思ったのだけど、
運悪くその日は仕事が入っていた。
土曜日だから、たぶん誰かに代わってもらうのは難しいだろう。
ハービーさんに会いたかったなぁ・・・
とても残念です・・・



そうそう、会場にはハービーさんが使っていたカメラやフィルムが多数展示されていた。
それと、東欧に行ったときのものだと思うけど、ハービーさんが記念に持ち帰ったベルリンの壁の欠片も置かれていた。
私はベルリンの壁の実物を見るのは初めてだったので、すごく感動した。



まさやん目当てで出掛けていった写真展だけど、
こうしてハービーさんの写真と出会うことが出来てとっても幸せ。

どれか一冊、ハービーさんの写真集が欲しいな~
やっぱり「代官山17番地」がいいなぁ。
ムリだよなぁ・・・









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今月のまさやんのFC会報。
穂刈氏のコラムを読んで、なんとも言えない気持ちになった。

「ア・リ・ガ・ト」という曲についての、穂刈氏の見解である。


たぶん、そう思った人は大勢いるんじゃないかと思う。
私もあの曲の歌詞を聴いたとき、
まさやんは「オモチャ」からの目線で書いた曲だと言ってはいたけど、
やっぱりハッとしたのだ。


今年の4月4日、私は別の場所でこんな日記を書いた。




~・~・~・~・~・~~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・




「ア・リ・ガ・ト」を聴いていて、
なんだか急に淋しくなった。


まさやんが私に歌ってるような気がして。 



 最後までとはいかなかったけど
 
 いつか君が僕を忘れてしまっても

  たいした事じゃないあいあい



私は最後までまさやんの音楽と一緒に暮らしたいんだけど!
最後の最後、息を引き取る瞬間にもまさやんの声とギターの音色に包まれていたんだけど!


 いつかまたね本当にありがとう


こんなことまさやんに言われたら・・・・
悲しくて悲しくて泣いてしまいます


20年後の朝も昼も夜も、ずっとずっとまさやんの音楽と一緒にいたい。

こんな歌を唄われるとさ、
まさやんがいつか本当にふいっとどこかへ行ってしまいそうで、
すごく怖くなってしまうよ><。



すごく大切なものとか、大切な人とか、
そんな存在が出来ると、大きな幸せを手に入れられるけど、
同時にそれを失う怖さもくっ付いてくる。


桜も咲き始めた陽気な春の日に、
こんな哀しいことを考えて涙まで流してしまう私はちょっと病気かもしれない。


そう、病気なのだ。
悩ましいほどの重い病気。

その特効薬はあの音楽しかないし、効き目も抜群なんだけど、
いかんせん副作用が強過ぎるのね。
依存性があって非常にやっかい。


春は特に不安定な季節だぁね。
わけもなく不安になるし、ちょっとしたひと言に一喜一憂してしまう。


不安を少しでも鎮めるために、また今夜もあの声で眠りにつこう。





~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~~・~・~・~・



「オモチャ」からの目線。

表面上はそうなんであろう。

だけど、その奥に隠されたまさやんの本当の想いは、
わたし、自分の見当違いだという気はどうしてもしないのである。


ある日ラジオでまさやんがこう話すのを聞いて、確信した。


 もしアルバムが出来上がらなかったら、俺 「ア・リ・ガ・ト」 だけ置いて田舎帰ろうと思った


もちろんこれはジョークとして話された言葉だったし、
いつものように ガハハハッ と笑いながら話してはいたけど、

でも、こういう言葉がふっと口をついて出てくるということは、
まさやんの心の中でこの曲はやっぱりそういう意味合いを持っているんだと思った。

そして、ツアーのセトリでこの曲をアンコールの最後に持ってきたまさやんに、
私は実はものすごく怯えていた。
どうしてまさやんは最後にこの曲を持って来たんだろう・・・


こんなに悲しい詩なのに、これがただそのままオモチャの歌だとは思えない。

まさやんの心の底にある、言いたくても言えない想いが、
オモチャに投影される形であらわれた曲なのではないか。

自分の代わりにオモチャに語らせたのではないのだろうか。



ここ数日、この曲のことばかり考えていた。
穂刈氏はどうして会報なんていう公の場所であんなことを語ったのだろう。
あれを読んだまさやんは一体どう感じただろう。
穂刈氏にとってまさやんの音楽は本当にそのような存在だったのだろうか。


こういう思いは本当は表に出してはならない感情なのだろうと思う。
それはきっとタブーなのだ。
だからまさやんはああいう形であの曲を出すことにしたんじゃないかと思う。

聴き手である私たちがたとえその本当の意味に気付いたとしても、それには触れてはいけない。
自分の心の中で受け取って、人目に触れさせず、
両手でそっと大事に包み込んで隠しておくべきものなのだ。
まさやんが 「これはオモチャの目線の歌です」と語った、その真意を知ったなら。


だから、どうして穂刈氏が今あんな形であの話を書いたのかが不思議だ。
書かれている内容もさることながら、昔からまさやんの一番身近にいた人物からあんな話を聞くなんて、
私にとってはかなりショッキングなことであった。


「冷たい世界」を思い出すね。
あの歌詞をはじめて聞いたときも、とても複雑な気持ちになったものだ。
まぁ、大橋くんは隠しもボカシもせずにストレートに書いていたけどね。
だから聴き手側もそのままストレートに受け取れた。


私の考えが本当に思い違いでなかったなら、
まさやんのこの表現の仕方は切な過ぎます。


 That is why I'm shedding secret tears...


人知れず涙を落とす・・・
そんなまさやんが見えるような気がして、もう私はどうしようもなくなってしまう。
 

ふぅ・・・

まさやんに関しては、どうしていつもこんなに感傷的になってしまうのか。
ただ“好き”ってだけのせいじゃないような気がする。


なんだかわかる気がするんだな。
人気というのは実態がない。
まったく確かなものでないし、永遠を約束されたものでもない。
人の気持ちなんて本当に気まぐれで、勝手なものなのだ。
こういったものに左右される職業というのは、周りが思う以上に虚しいものなのかもしれない。

それでもやっぱりその世界で生きていくしかなくて。
どこかで割り切って、どこかで自分を説得して、
そんな道中を進むうち、いつのまにか本音を語ることも、心の底から笑うことも、
人は忘れていってしまうのかもしれないね。

昔むかしのまさやんが、あんなにキラキラして眩しいのは、
まだ両手にあふれんばかりの希望を持っていたからなのかも。


だけど、ここんとこのまさやんは、そういったところをくぐり抜けてきたんじゃないだろうか。
「僕のやるせなさを感じて欲しい」といって出した「IN MY HOUSE」。
全部の曲に僕なりのブルースが表現されている、と言った。
初期の頃を彷彿とさせる自由な楽曲に、なにかを突き抜けたような気持ちの良さを感じた。

だから、「ア・リ・ガ・ト」を曲にしてこの世に出したことで、
きっとまさやんはそれを自分の中で昇華できたのではないかと思うのだ。
未だ悶々とした渦の中では、きっとその感情を曲にすることは出来ないと思うからだ。

まさやん自身も、恋愛にしろ何にしろ、渦中にあるときは曲に書けない、と言っていたことがある。
曲にするのは過ぎたことだ、と。



悲しみも苦悩もやるせなさも、
それがしんどければしんどいほど、悲しいかな、いい曲になるんだよね。

まさやんの曲はすべてまさやん自身。

どの曲もまさやんだから。

まさやんの曲を聴くときは、まさやんの心に触れるときです。

だから私は、まさやんの曲だけでなく、まさやん自身もいとおしく思わずにはいられないのです。




まさやんにとって「音楽とは何?」

その質問にまさやんはこう答えていた。


 趣味、仕事、生活、すべてやね。



ああ・・・ 私は本当に、音楽に身を捧げたこの人が好きでたまりません。





「ア・リ・ガ・ト」の歌詞はコチラ → 


  
 




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私の大好きなまさやん×せっちゃんのセッション。
Charさんも好きです。 声が好き。
昔、ラジオ聞いてたことがあります。
声いいし、歌めっちゃうまいです。


Charさん、せっちゃん、と歌い継いで、次にまさやんが歌い出した瞬間、
その歌声に圧倒された。
すっごいわ~。 見直した!(爆)
なんだか、普通の歌手の人とは一線を画す雰囲気を持ってるよね、まさやんの歌声。
それがまさやんの個性であり魅力であり、聴く人の好みの分かれ道なわけだけど。
なんていうか、やっぱりほんとに個性的なボーカルなんだな。








でもさ、私はよく昔のまさやんの話をここでもよく書くけど、
それでもやっぱり、なんだかんだ言って今のまさやんが一番好きなんですよ。
曲も歌声も含めて。

高音はもう少しがんばって出してほしいけど、
でもあの低音の深みや歌の表現は、今だからこそのものだと思うし。
「深海魚」とか本当に好きだ。


だけど・・・

やっぱり若い頃のまさやんは眩しすぎるし、
気持ちいいくらいスコーン!と高音が出るのを聞いてると、鳥肌が立っちゃうわ。


まさやんはもともと、すごくボーカル向きの喉をしていると感じる。
普通に話す声もすごくデカいし(笑)
声の響きとか、張りがあってよく通る声で存在感があって。
喉からお腹にかけて?わかんないけど、歌い手としてはすごく恵まれた体をしていると思う。

それでも、まさやん自身は自分の声のことですごく悩んだ時期があったそうだ。
自分の歌声はかなり特殊だってことに気付いて。

まぁ、確かに特殊だよね。
そこはホントそのとおり。

だけど、まさやんが普通のごく一般的な歌い方をする人だったら、
ここまで有名になったかな?と思う。
やっぱりあの独特な歌い方のクセが、まさにまさやんの個性となって、
世間へ山崎まさよしというひとりのミュージシャンを印象付けたんだ。
一度聞いたら忘れない声だもの。


ギターだけでなく、ボーカリストとしての才能も持ち合わせているまさやん。
だって、服部先生がまさやんの魅力は?と聞かれ、まず最初に「歌がうまい!」って答えたものね。
正直ファンの私も、え? そう? って思っちゃったけど^^;
でも、この映像見るとなんかやっぱりスゴイと思う。
今は今の良さがあるけど、この頃の歌声はもう圧巻ですね。






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ときどき、まさやんはハッとするくらいカッコいい。

音届の今週の写真のまさやんなんて、
ここ最近では一番のカッコよさだ。

そうか。 そこを隠せばいいんか。(コラ)



私はまさやんの見た目に惚れたわけではないから、
まさやんがどんなにオッサンでも、どんなにダサいコーディネートしてても、
どんなに可笑しな帽子をかぶってても、別にいいのよん。

だけどやっぱり、たまにこうしてハッとするくらいカッコいいまさやんを見せられると、
ドキドキしちゃってきゅんきゅんしちゃって、そんな乙女心に酔いしれてしまう。


まさやんはたぶん素材自体はかなりいい線いってると思う。
でも、まさやん自身に “自分をかっこ良く見せよう” というのがまったく無いため、
そこはやはり見た目に如実に表れているのである。

もっとこうすればずっとカッコいいのになぁ・・・とか、
ちょっとあれれなまさやんを見るたび思うんだけど(爆)

でも、外見より別のことにいつも一生懸命なまさやんがめちゃめちゃ男前なんである。
まさやんはね、そんな本物のカッコよさを体現している男なんである。
だから私は、まさやんがどんなにオッサンでも、どんなにダサい服着てても、似合わない帽子かぶってても(しつこい・・・^^;)
そんなこた、どーでもいいのである。

だけどやっぱり、たまにハッとするくらいカッコいいまさやんを見せられると・・・・・ もういいか^^;


ようするに今日わたしが言いたいのは、
どんなにイイ男でもやっぱり見た目はそれなりに大事ということ! 


いやちがった(汗)

ん?

やっぱそうなのか?


うー わからん!





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まさやんの会報がすべて揃った。







しめてファイル5冊分。
12年分のまさやんだ。



12年前といったら、私は何をしていただろう?

うーん…
まだ子供も生まれていなくて自由気ままにやっていたなぁ
もう結婚はしていたけど、うちは実家が厳しかったから、
結婚してからの方が好き勝手やってたなぁ
ほんとに遊んでばっかりいたなぁ



その頃まさやんと出会いたかった。
まさやんのこれまでの歳月を、私も共に過ごしたかった。

今更叶わぬ夢だけど、こうして集めた会報を見ていると、
私が知らずに過ぎてきたそれらの歳月を、
ちょっとだけ垣間見ることができる。


まさやんはこれまで本当にガムシャラに生きて来たんだなぁ
ほんとにほんとにお疲れさんだ。
すべての号の表紙のまさやんにお疲れ様のチュウをしてあげたいくらいだ。


「いらんわ!」


まさやんの声がした(笑)


いいじゃないの、減るもんじゃなし。
ケチ!




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